何曜日だっていざよいちゃん

世界は生きづらく、そして美しい。

新社会人二年生が考える「夢」

卒業制作というやつを見ると、うまく言葉にできないのだが、なんとも言えず胸がいっぱいになってしまう。

 

昨年のそれは、明らかに才能への嫉妬からきていた。

私自身が卒業制作をする立場だった。しかしうまくいかない就職活動、それ以上に友人がどんどん就職していくことへの焦り、周りの目が哀れみを帯びているような憂鬱……そんな荒んだ心と向き合いながら制作をする日々は、今思えば大変にしんどいものだったと思う。

ほかの表現については無知なのでなんとも言えないが、小説を書くにあたり、心の衛生状態は本当に重要だ。

できあがったものは、今では目も当てられないようなひどいもので、教授にも「期待していたのに」と言われた。私だって、もっといいものがつくれたのに、と思う。

 

コロナウイルス感染症により展示そのものは中止の大学が多いが、その代わりツイッターではハッシュタグをつけて写真を公開するなどして、たくさんの卒制が発表されている。

今年も胸が痛いのはおそらく、芸術大学を卒業して、一年自分が経験した「社会人になった芸大生の末路」が見えているからだ。

学生は、卒制に命をかけている。技術に関係なく、今までの集大成だということは一目でわかる。

 

けれど、そんな芸術に命を燃やしていた学生の多くが、四月からは普通の社会人として、今までやってきたことは通用しない世界に進むことになる。

もちろんそれに近い分野で仕事を見つけた人も、「活動は趣味として続けていく」と割り切っている人もいるだろう。しかし私の周りでは、大学で学んだ分野とは違う職種についていて、創作活動もしているかわからない人が多い印象だ。

決して悪いことではない。むしろ世の中はそうやって回っているのだから、正解に等しいと思う。それが大人になるということだとも思う。

 

私にはそれができなかった。さすがに小説で食べていけないことはわかっていたが、少しでも専門に近い職につくのだとしがみついていたら、大学四年の二月という、本当にギリギリまで就職が決まらなかった。

適当なところで切り上げて、とりあえず卒制に徹するという手もあった。

趣味は趣味と割り切って、残業なし土日休みの職を探したってよかった。

だけど結局、私は「夢」というものを勘違いしたまま、ただぼんやりと頑張っている体を装っていただけなのだと思う。

 

夢をあきらめる平均年齢は、二十四歳だという。四年制大学を卒業したと仮定すれば、社会人二年目に突入した頃だ。学生に比べれば時間は減るし、社会や常識が見えてきて、仕事に慣れて「現実」にいる時間が増える。そう考えれば、納得のいく年齢だ。

「この先どうなってしまうのだろう」と学生時代に想像することはあると思うが、社会に出てからのことは、働いてからでないとわからない。芸大にない「現実」にいるというのは、案外楽なものだ。夢を忘れ、染まってしまう人の気持ちはよくわかる。

 

夢とは、叶えるものではなく、自分なりにつきあっていくものだと思う。社会人として一年過ごしてみて、つくづくそう感じる。

夢をあきらめるのも、一つのつきあい方だ。副業・趣味としてやっていく、やっぱりいずれは夢を叶える。どれも自分が納得いきさえすれば、誰も文句は言えない。

夢は叶わなくても、死ぬものでもない。道を進む一つの原動力みたいなもので、なくてもどんどん目の前の道を進むことはできるし、それで幸せに生きている人もいる。夢に縛られている方が、不幸な場合だってある。

 

そしてどこでも言われることだが、芸術で食べていける人は、ほんの一握りなのだ。

今はインターネットという発表の場がある、と思うかもしれないが、ネットで発表したものの多くは、残念ながら無料の暇つぶし以上のものにならない。もっと残念なことに、現在の若者は貧しいため、無料でない暇つぶしは手に取られない。

また、ネット発信からビジネスに発展するような活躍するというのは、正規ルートで芸術家になるより難しい。

「小説サイト発信の本とか、今どんどん出てるじゃん?」と思う人もいるだろうが、文藝・新潮といった新人賞の応募総数が約二千本なのに対し、ネットに発表されている小説が何本か、考えて見てほしい。今をときめくYouTuberだって、人気のある人はなにかしら抜きん出た特技があったり、専門家だったり元タレントだったりする。

個性やアイデンティティがなによりとされている現代だって、夢を叶えるのは難しい。

 

私自身はどうするのか、という話だが、もう少し夢に向かうことにしている。

というか十年は追いかけてきたと思っていたが、実はまだスタートラインにすら立っていなかったようだ。と、昨年新人賞に応募しては落選を繰り返し実感した。「どうして叶わないのか」と思っているとき、まだ自分がスタートラインにすら立っていないケースは多い。

 

で「要するになにが言いたいのだ」という話だが、これから新しい道を進む人や道を決めている人は、どうか夢や理想に縛られないでほしい。自分の評価というものは、実は他人の評価より厳しく、自分を締めていく。

何者かになんて、ならなくていい。個性もなくていい。夢があるなら、個性を活かしたいなら、それは本当に苦しい道になるけれど、死なない程度に進んでほしい。

また、思いがけないところで夢が叶うこともある。私は色々あって現在、文章を書くことを仕事の一部にすることができた。それに必要なのは自分を発信すること、目の前のことに全力で取り組むこと。周りは案外見ているから、望まない環境に立たされたとしても、全員敵だと思い込まない方が得だ。

 

ヤマもオチもない話になってしまいましたが、四月から環境の変わる人も変わらない人も、夢や自分に期待をしすぎないよう、転ばないように目の前の道を進んでください。

寝る前に歯磨きできたら百点満点でいいんじゃないでしょうか。こんなご時世ですし、お身体に気をつけて。