何曜日だっていざよいちゃん

世界は生きづらく、そして美しい。

オタクがめんどくさい話

メディアがいまだどことなく「オタクキモい」風潮のなか、NHKが攻めてますよね。

トクサツガガガ

特撮オタの主人公が、会社では普通のOLを装って生活し、そのなかで同士を探しつつもオタバレしないよう奮闘するドラマ。三話では会社の先輩が実はアイドルオタクであることが発覚し、今後主人公が歩み寄って同士になっていくようです。孤独感や仲間探しなど、オタクあるあるがよく描かれています。

静岡発地域ドラマ『プラスティック・スマイル』も、コスプレイヤーとOLの両立をこなす女性が主人公でした。「趣味を仕事にする・しない」が大きなテーマのようですが、コスプレイヤー内の「ただ楽しみたい」「作品を完璧に再現したい」「カッコいい自分を見てほしい」などの価値観の違いも出てきます。

 

どちらかといえば、『プラスティック・スマイル』の方が現在のオタクを描いている作品だと思います。

『トクサツ~』のように「夢中になれるものがある」という共通の価値観を持つ相手は、オタクが隠れキリシタンのごとく少数派・タブー視される存在であれば、とてもうれしいです。しかし今オタクはそこまで少数派でもなくて、価値観も多様になってきています。

「このアニメが好きだから、キャラクターの絵を描く」

「このアニメが好きだから、コスプレをする」

「このアニメは好きだけど、ただ原作を見るだけ」

これだけならいいのですが、「このアニメは好きだけど、ファンアートは嫌い」という人や「好きだから絵は描いてるけど、コスプレは嫌い」という人もいます。

『プラスティック~』の主人公も、同じ作品のコスプレをしている友人間での価値観のずれで悩んでいました。コスプレイヤーとカメラマンなど、複数での作品づくりになりがちなコスプレは、わかりやすい例ではないでしょうか。

もはや「オタク同士だから仲よくできる」という時代ではない。たとえるならバンドの音楽性の違い、みたいなものですかね。いつも顔合わせて同じ音楽やってるのに「なんか違う」って思ってしまうような。

「アニメが好きな人なんて周りにいなくて、孤独を感じていた」

「周りに合わせることができない、自分ってだめなんじゃないだろうか」

そこから抜け出したかったのに、オタクコミュニティ内でも空気を読むことや、協調性が求められてしまう。めんどくさい。

だけどオタクってある意味人格みたいなものだから、消すことは難しい。『ボヘミアン・ラプソディ』観てたって「ロジャ子まじ美少女の極み乙女。」「博士の御御足……」「尊い……」ってなってしまう(普通に私の話です)。やめられない、とまらない。

 

 

「人は最後は一人なんだよ。徹夜で語り合って、手を絡(つな)いで抱き合って眠っても、違う夢を見るんだよ」

下妻物語』の白百合イチゴ(ヤンキーの方)の台詞です。『下妻物語』はヤンキー娘とロリータ娘が出会い、お互いの趣味は理解できないながらも「好きなものにまっすぐで芯がある」姿勢に惹かれていくストーリーです。「バカみたいな格好」とけなし合いながらも、自分のスタイルは変えないし相手を尊重する、理想の関係だと思います。

 

仲よくなれるオタクのポイントは、「推し」ではなく「推し方」。

 人には人の乳酸菌。好きなことして生きていきましょうね。

 

トクサツガガガ』の主題歌、歌詞もPVもいいのでぜひ観てください。

 

www.youtube.com

 

2月9日 追記

『トクサツ~』、ちょっとオタクへの向き合い方で方向性の違いが描かれましたね。小学生~30代と年齢層広くオタクが出てくるので、その差もあるのでしょうね。

4話神回でした。任侠さん(推しです)仲間ができるのね~よかったね~!