何曜日だっていざよいちゃん

世界は生きづらく、そして美しい。

個性と多様性について。

ある人は「これは丸だ」と言うが、ある人は「これは三角だ」と言う。

遠くから見ると、それは円錐だった。

丸も三角も正解で、見方次第なのだ。という話があります。

 

「多様性」やら「個性」やらを叫ぶ現代。平成から令和に年号も変わりました。

しかし今の日本って双方をちょっと誤解しているような気がして、

「みんなが丸って言ってるし自分も丸だと思ってるけど、あの人は三角って言ってるんだよね。それはあの人の個性だし、こっちがなにか言ってケンカするのも嫌だから丸って言ってる人とだけつるんどこうかな」

って感じな気がするんですよ。

 

たしかに「三角とか頭おかしいんじゃない?」って言うのはタブーだという流れに時代がしてくれました。

だけど「三角って言う人はいるけど、自分は丸だと思う」という権利が奪われたわけではないと思うんです。

自分の意見を言わない、意見の違う人を最初からコミュニティの対象外にしてしまうのは、差別うんぬん以前にコミュニケーションをあきらめてしまっていて、だったら面と向かって「頭おかしい」と言った方がまだコミュニケーションとろうとしてたのか?

と考えてしまいます。

 

なんの話がしたかったって『俺のスカート、どこ行った?』なんですけど。

(『きのう何食べた?』や『腐女子、うっかりゲイに告る。』が同じクールでやってるのも、すげーなと思います)

二、三話でけっこう普通の学園ものになりつつありますけど、

マスクを外したくない少年と、「それが彼の個性だから」と言う教師に対して「それを個性で片づけるのは、コミュニケーションのスタートにも立っていない」と言ったり、

女装を生徒に笑われたことに対して「変なら変と言っても、見下すのはダサい」と言ったり(正確に覚えてはいないので、ニュアンスですが)、一話ののぶお(古田新太)は個性と多様性について、日本社会の「常識」にはないことをズバズバと言っていました。

 

あと、プリキュアです。プリキュアの多様化すごい。

前シリーズはアンドロイドや男の子がプリキュアになって、今回は宇宙人です。

前回の放送で宇宙人の羽衣ララが「たくさんの星を見てきて、そこにはたくさんの普通があった」(これも記憶とニュアンスです)と言っていて、「これだよなあ……」と思ってしまいました。

 

 

「個性」ってくくりは「孤立」や「孤独」を含んでいるように感じるんですよ。

冷たく突き放して「そっちは勝手にやれば?」って言われてる気がするんですよ。

「自分とは違う」と感じても、違う環境や価値観で過ごしてきた人の「あたり前」かもしれない。

「これがこの人の普通なんだ」と思う方が、多様性とはつきあいやすいと思うんです。

もう性別って男と女だけではないし、LGBTだけでもないんですよ?

これから日本にも海外の人がたくさんやってきて、見た目だけでなく宗教や価値観・生活が全く違う人たちと過ごすことになるんですよ?

「個性」って突き放してたら、自分の周りに誰もいなくなってしまうかもしれない。

 

「個性を大事にしよう!」「多様性の時代だ!」と叫ぶ声が怖いのです。

そのせいで誰かの「普通」が壊されてしまう気がするのです。

もうちょっと考えようよ、みんな。